| はじめちゃんが一番! (はじめちゃんがいちばん)[固有名詞] |
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「別冊少女コミック」1989年1月号〜1995年7月号まで連載。全15巻で完結。小学館刊。渡辺多恵子著。 ストーリーは、M2カンパニー所属の実力派アイドルデュオ「WE」と非実力派アイドル五つ子グループ「A.A.O.」に囲まれ、しっかり者で元気だけが取り柄の五つ子の姉・岡野はじめを主人公とした、芸能界が舞台のラブ・コメディ。もちろん「WE」は光を、「A.A.O」はGENJIをモデルとしている。これは作者・渡辺氏も認めており、「光GENJIが解散したら連載を終了する」と公言していたが、大沢樹生・佐藤寛之脱退を機に「2人が抜けたらそれはもう『光GENJI』じゃない」という思いから連載は終了に向かった(「ぱふ」1995年9月号の渡辺氏インタビューより)。 元々「いい男に囲まれた元気女」という少女漫画にはよくありがちな設定が嫌いな筆者は読む気がせず、読むのをためらっていたのだが最近になって複数の人から勧められ、一念発起して読んでみた。 感想は、「さすがプロの漫画家は違う」。光GENJIを全く知らない読者が読んでも面白く、光GENJIのファンが読めばより深く楽しめる仕掛けが随所に施されており、思わずニヤリとさせられる。ただ「WE」が実力派アイドルという設定から見ても分かるとおり、実物の光とはややかけ離れたオリジナリティの強いものになってはいるが…(それはそれでまたかなりオイシイ設定になっている)。単なるラブコメに終わることなく、アイドルの魅力、女の子のファン心理がところどころで描かれ、アイドルファンならば思わず共感するであろう。ストーリー運びが上手く、泣けるエピソードも多々あり。筆者は思わず番外編(文庫版のみ)まで追加して買ってしまった。 単行本15巻183ページから184ページのアイドルについての定義は至言。ぜひ一読すべし。 あえて不満を言うとするならば、筆者が最後まで「元気印の女の子」が好きになれなかったことと、M2カンパニーの社長が良い人すぎることくらいかな(筆者、ひねくれ過ぎ)。(2004.7.15) |
| 走れ!GENKI学園 (はしれげんきがくえん)[固有名詞] |
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1988年10月、講談社刊。かずはしとも著。光GENJIをモデルとしたキャラクターたちが登場するギャグ漫画。決して垢抜けているとは言えない画風だが、作風は嫌みがなくオタク臭もないので万人向け(と言っても光GENJIファン限定だが)。発行年月から推測できるように、特に初期の光GENJIネタ(諸星和己が太め、など)が多い。個人的に「AKIRA」(大友克洋著)のパロディは嬉しかった(筆者が原作ファンなので)。 現在絶版。光GENJI系商業コミックの中で最も手に入れにくい1冊だと思われる。(2004.2.23) |
| 裸のままKISSを (はだかのままきすを)[曲名]作詞:高柳恋、大沢昇一 作曲:岡本朗 編曲:水島康貴 |
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アルバム「HEART'N HEARTS」(1994年3月)収録。大沢樹生ソロ曲。 94年コンサート「FOREVER YOURS」の思い出なしには語れない曲。派手好きな彼がこれといった演出もなしに、静かに外周を確かめるように歩きながら歌っていた様が思い出される。曲の途中、涙で歌が途切れるのだが、彼の涙で筆者も我慢できずに泣いてしまった。泣きながら「泣くのなら、なぜ辞める!?」と心の中で彼を責めた。その前に、同じく脱退する佐藤寛之が涙を見せず吹っ切れた様子で退場しただけに、大沢樹生の涙の意味が分からなかった(後にビデオをじっくりと観て、彼なりの決断を下した上での涙だったのだ、と納得したけれど…)。 ちなみに友人Xは「悪いけどあの時笑っちゃったよ〜。だって急に『ぐふっ!』って言うんだもん」と言ってました。…冷静だよアンタは。(2003.9.18) |
| 裸足の旅人 (はだしのたびびと)[曲名]作詞:高柳恋 作曲:山口美央子 編曲:新川博 |
| アルバム「Dream Passport」(1992年12月)収録。佐藤寛之、赤坂晃、佐藤敦啓ヴォーカル曲。(執筆中) |
| 花も嵐も (はなもあらしも)[固有名詞] |
| (執筆中) |
| パラダイス銀河 (ぱらだいすぎんが)[曲名]作詞・作曲:飛鳥涼 編曲:佐藤準 |
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1988年3月9日に発売されたシングル。1988年第30回日本レコード大賞曲。アルバム「Hi!」(1988年7月)収録。その他にも、「ふりかえって…Tomorrow」(1990年1月)にはヴォーカルを変えたバージョンが、「See You Again」(1995年8月)には諸星和己セレクションの1曲として収録されている。c/w「LONG RUN」。 「光GENJI=ローラースケート=パラダイス銀河」と言っても過言ではないほど有名な曲。光GENJIの前2曲(「STAR LIGHT」「ガラスの十代」)が青春の「影」を歌った曲とするならば、これは青春の「光」を、これ以上はないというほどに高らかに歌い上げている。日本がバブル景気に湧いた「時代」と「光GENJI」という本物のアイドルグループが生み出した日本歌謡史に残る名曲であろう。 2003年1月にホワイト☆ストームがシングル曲として、2004年9月にTOKIOがアルバム「TOK10」の中でカバーしている。(2007.6.6) |
| バラードが聴きたくて (ばらーどがききたくて)[曲名]作詞:津田りえこ 作曲:伊藤博 編曲:和泉一弥 |
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アルバム「Pocket Album−七つの星−」(1992年7月)収録。諸星和己ソロ曲。 元々、具体的な恋の歌に感情移入しないタイプなので「ああ、こんな曲もあったな」という印象しかない…。よく聴いてみれば、あのヘタっぴな「RAINY GIRL」からよくぞここまで成長したなあ、とかそれなりの感想はあるんだけど。(2003.9.19) |
| バラードにリボンをかけて (ばらーどにりぼんをかけて)[曲名]作詞:吉元由美 作曲:井上ヨシマサ 編曲:佐藤準 |
| アルバム「Cool Summer」(1990年7月)収録。赤坂晃ソロ曲。(執筆中) |
| パリの話〜Paris talk〜 (ぱりのはなしぱりすとーく)[固有名詞] |
| 1999年2月14日に自主レーベルより発売された諸星和己の詩集&写真集。文・KA-KUN。(2007.5.9) |
| 春は…るんるんるん (はるわるんるんるん)[曲名]作詞:原真弓 作曲・編曲:馬飼野康二 ストリングス編曲:前田憲男 コーラス編曲:曳田修 |
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アルバム「忍たま乱太郎オリジナル・サウンドトラック其の参」(1996年1月)収録。山本淳一 & 忍術学園合唱隊ナンバー。(執筆中) |
| バンジー (ばんじー)[固有名詞] |
| 山本淳一の愛称。小学校3年生の時クラスメートから付けられた。「チンパンジー」に似ていることから。「バンジ」と略されることも。(2003.8.21) |
| バンジのセクシーフォト事件 (ばんじのせくしーふぉとじけん)[固有名詞] |
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「SEVENTEEN」1990年1月3・18日合併号に掲載された囲み記事。 SEVENTEENスタッフのカメラを借りてカメラマンになった佐藤敦啓に対し、モデルとなった山本淳一がノリまくって(その号の衣装だった)ハッピを脱ぎ出しセクシーポーズ。その写真は「バンジのセクシーフォト事件」として白黒ページに4×5cmほどの大きさで掲載されたが、あのセクシーショットの方をカラーページに大きく掲載してほしいと思ったファンは多かったに違いない。(2003.9.25) |
| バンダナ (ばんだな)[名詞] |
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頭に巻く装飾品。 デビュー当時、光GENJIでは大きいバンダナ(羽根付き)を諸星和己が、それより小さいバンダナを内海光司が巻いていることが多かった(他のメンバーはバンダナなし)。小さいバンダナを巻いてもアピール度は薄いと思うのだが、なぜ彼はわざわざ巻いていたのだろう。(2003.8.16) |
| 東山紀之 (ひがしやま・のりゆき)[人名] |
| 愛称「ヒガシ」。少年隊の一員で、ジャニーズ王子路線の第一人者と言われている。1999年4月「花も嵐も」、2000年11月「MILLENNIUM SHOCK」で赤坂晃と共演。(2003.8.22) |
| 光 (ひかる)[固有名詞] |
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光GENJIの年長者である内海光司、大沢樹生からなるグループ(コンビってイメージではないからな…)。 「イーグルス」時代からの長い付き合いでお互い理解し合っているせいか、それとも単に仲が良くなかったのか、2人でいる時の口数は決して多いとは言えなかった。だが、そんなところが「端から見ても分からないオトナの関係」を思わせた不思議な2人。 「コンサートの最中、ステージ上で、よく目が合うんだ。それは俺も内海くんも『光』を意識しているからだろうね」(写真集「1994・今…」の大沢樹生談話より)から推測されるように、数多い光GENJI内ユニットの中でも「光」は自身のユニットを意識していた特別な存在であった(GENJIやSAY'Sが、自分たちのことを「GENJI(あるいはSAY'S)の一員である」と意識していただろうか?)。外見、内面とも対照的。歌唱力は違った方向性ながら2人とも高くはなかったが、大人の恋を歌った曲など光ナンバーも多く、「大人の男」に憧れるSAY'Sのメンバーなどによく歌われたものである。 光GENJIを「光(ひかり)」と「影」に分けた場合、「影」の部分を担当していたせいか、裏パートを歌うことが多かった。カラオケ「ガラスの十代」で突如字幕とは違う歌詞で歌い出したら、間違いなくその人は光ファンである。 光としては、93年にディナーショーを開催。当時金欠だった筆者には高価すぎて行くことができなかったが、借金しても行っておけば良かったと今になって後悔しきりである。(2003.8.16) <主な作品>
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| 光GENJI (ひかるげんじ)[固有名詞] |
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日本のバブル景気とともに生まれ、バブル時代を駆け抜け消え去った伝説のアイドルグループ。内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓の7人からなる。 1987年8月19日「STAR LIGHT」でデビュー。1988年「パラダイス銀河」で日本レコード大賞受賞。また同年には「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」がオリコン年間シングルチャートの1〜3位を独占し、その人気は「光GENJI現象」と呼ばれるほどであった。1994年8月27日、大沢樹生、佐藤寛之脱退により「光GENJI」としての活動は終了(以後、「光GENJI SUPER5」として活動)。一説では、デビューから光GENJI SUPER5解散までのコンサート開催数539回、動員数333万6594人、CD等の売上はシングル1530万枚、アルバム880万枚、ビデオ320万本に上ったと言われている。主な作品、受賞歴は下記の通り。活動歴などの偉業をまとめるのは筆者の手に余るので他サイト等でご確認いただきたい。 筆者にとっては、神であるとともに最初にして最後のスーパーアイドル。恋人であり、愛人であり、兄であり、弟であり、息子であり、捨てたくても捨てられない元彼であり、想像力をかきたてられる素晴らしいオモチャでもある存在。 なお、標記は「光ゲンジ」ではなく、絶対に「光GENJI」でなければならない、という強いこだわりを持っている。(2003.8.19) <主な作品(※=光GENJI SUPER5作品)>(《 》内の数字はオリコンチャート最高位)
<主な受賞歴>
1987年8月19日、「超新星からのメッセージ」というキャッチフレーズにふさわしくローラースケートで颯爽と登場した7人組は、デビューから瞬く間にトップアイドルの座に着き、その異常な人気は「光GENJI現象」とまで言われた。 特にそのコンサートの完成度は高く、「ローラースケート」と「7人であること」の利点をフルに活かしたステージは、それまでのコンサートの常識を打ち破るものであった(衣装の奇抜さも含めて)。 「ローラースケート」はスピード感を生み出しただけでなく、広いステージを隅々まで駆け巡るのに必須のアイテムであり、「7人であること」は広い会場を光GENJIという1つのグループだけで魅せるのに十分な人数であった(今ほどジャニーズJr.の人数が多くなかったという事情もあるが)。また、2人と5人、3人と4人、あるいはサークル、あるいはV字、あるいはステージいっぱいの直線を描くなど、多彩なフォーメーションを瞬時に変化させることを可能にした。 会場の中心にメインステージを置き、周囲を外周で囲うという原型を作ったのも光GENJIである。横浜アリーナ、大阪城ホールなどの広い会場において観客との一体感を持たせるのに非常に有効な手法で、現在でもジャニーズ系のコンサートに引き継がれている(らしい)。 また現在では当たり前になっている口パクを堂々とやってのけた初のアイドルでもあった(そのため風当たりも強かった)。そのほか、イメージカラーがはっきり決まっていたこと、グループ内ユニットの多さ(光、GENJI、SAY'S、AKIRA & KOHJI)、メンバー全員が年子になる期間(年子期間)があること、明確なリーダーの不在(ジャニーズ事務所の慣行から言えば年長者の内海光司になるのだろうが、なぜかデビュー当時は大沢樹生がリーダーということになっていた。途中からそれもうやむやになり、最終的に大沢樹生はいち早く脱退してしまう始末…)、アンチの多さ、諸星和己という特異な存在などが特色として挙げられよう。 さらに、軽視されがちであるが、彼らの「歌」も非常に特徴的であった。 それまでのアイドルソングは「青春時代の甘酸っぱい恋愛」「オトナぶった男のアバンチュール」「一人の女性に捧げた恋心」など日常的・具体的なものが主な題材であったが、光GENJIの歌はそれらとは全く趣が異なっていた。もちろんそのような歌も数多く歌ったが、彼らが最も得意としたテーマは「現状の肯定と未来への限りない希望」である。「パラダイス銀河」「WINNING RUN」などを思い浮かべていただければご理解いただけるだろうか。彼らは「愛」「勇気」「希望」「夢」などを臆面もなくかつ壮大なスケールで歌い上げた。また、日本という国がそのような歌を容認する時代でもあった。 このほかにも「青春系」「慰め系」などの歌も得意としたが、それらはまた別の機会に述べたい。 以上、いくつか光GENJIというグループの特徴について述べてきたが、何と言っても最も特筆すべきことは、彼らが最初から最後まで純粋で完璧なアイドルを貫き通した点であろう(アイドルタレントではない。「純粋で完璧なアイドル」である)。「アイドル」を貫き通したと言うことは、要するに彼らが「アイドル」しかできないグループであり、それ以外の仕事(ドラマやバラエティ番組など)が非常に不得手であったことを意味する。現在のようにタレント業も器用にこなすアイドルグループとはその点が決定的に異なっていた。彼らを「時代の変化に対応できなかったアイドル」として嘲笑するのは容易い。だが既に完璧な「アイドル」を演じている彼らに、俳優としてほかの誰かを演じることができようか。「アイドルらしくないフツーの男」を演出して、トーク番組やバラエティ番組で小器用に笑いをとることができようか。答えは「否」である。 そして、そんな「アイドル」しかできない不器用な彼らだったからこそ、彼らは「タレント」にも「ミュージシャン」にも転向することなく「アイドル」のままで終焉の時を迎え、ファンの心に「永遠のアイドル」として数々の伝説とともに刻み込まれることができたのだ。一度脱いでしまったらもう清純派には戻れないように、一度タレント化してしまったらもうアイドルには戻れない。アイドルから他の路線への道のりは常に一方通行である。アイドルがアイドルとして伝説になるためには「アイドルのままで終わること」が必要不可欠なのだ(何度も言うが、ここで言う「アイドル」とは「アイドルタレント」ではない)。 バラエティ番組全盛の現在の芸能界に、虚構の世界のアイドルは要らない。等身大のタレントでいい。マスコミがいかに他のアイドルタレントグループを「伝説のアイドル」と名付けようとも、恐らく真に伝説となり、神話となり得るアイドルグループは今後当分現れないであろう(女性アイドルについてはハロー!プロジェクトなどが頑張っていると思うが、よく知らないので割愛)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||